亜久津仁、きみに殺される日はいつだろう。今日か、明日か、それとももっとずっと先か。浮かんでは消え、消えては浮かぶ鬱々とした思いに胸を踊らせながら、今日もおれはモンブラン(栗入り)を3つ手に彼のアパートへ向かう。










どうしようもない恋の唄










カン・カン・カン・カン
(錆びた鉄の階段と革靴の相性には毎度ながら敬服)





「きゅう、じゅう、じゅういち」





あっくんと優紀ちゃんの住む6畳2間は、ちょっとした曰く付きの部屋だった。4年ほど前、その部屋に住んでいたOL、斉藤洋子(27才・仮名)さんが上司との泥沼の不倫劇の果てに首をくくり、それが暑い夏の盛りだったために腐敗のスピードはすさまじく、不審に思った隣の住人の通報により警察が部屋に踏みこんだときにはもう二目と見られない姿になっていたとかいないとか、あくまでもそれらのすべては優紀ちゃんの予想にすぎないのだけれど、自殺があったのは確かなのよ、と、いつか彼女はその人懐こい顔で言った。


『だからここ、家賃半額なの。ラッキーでしょ、ねぇ仁』

『くだらねぇ』


吐き捨てるように呟いて新しい煙草をくわえる彼に、あっくん怖いんじゃないと軽口を叩いて背中を蹴られる。あらあらだめよとたしなめる優紀ちゃんの笑顔はまるでほころびたばかりの花びらのようで、2人を見ていると斉藤洋子さん(仮)の不幸が果たしてこの母子のラッキーであるのかそうでないのかは別としても、俺たち3人全員に第6感、または霊感とも呼ばれる非科学的な力がまるで備わっていなかったことが本当の幸いだと胸を撫で下ろした。


「来て、あっくん」


自らはしたなく広げた脚の間に3つ目のモンブラン(栗入り)を平らげたばかりの彼を手招き、俺の唾液に濡れたそこをローションに濡れた俺のそこへ迎え入れる。まともな神経を持つ奴なら思わず耳を塞ぎ裸足で逃げだしたくなるようないやらしい音が、狭い和室をぐちゅぐちゅぬちゃぬちゃ満たした。


「…っ、ア、殺して、あっくん、殺してよ、はやく」


マゾヒスティックな妄想にとりつかれたような俺の睦言を、彼は一笑に伏せて終わらせることができるほど器用ではない。今も透けた誰かがぶらさがったまま恨みつらみを唱えているのかもしれないこの部屋で俺とあっくんがヤマもオチも意味もないセックスをしていることは紛れもない事実で、その手にかけられたいと願うことのできるおそらくは唯一無二であろう相手にこの若さで出会ってしまった俺のラッキーは限界を超え、今にもはじけようとしている。





繋がることに求めるものが温もりだなんていったいぜんたい誰が決めたの。

(彼のちんこがナイフに変わればいいだなんてそんな)





「おい、目イってんぞ」


喘ぐことを忘れ、薄い笑みを浮かべながら突き上げるあっくんの感覚にトースイしていた俺の尻が彼の手のひらによってぱしんと音を立てた。


「つーかゆりぃ。締めろ」

「あぁ、うん、じゃあさ、絞めて」


いつの頃からかお決まりになってしまったこのやりとりに、彼はいつもと同じ溜め息を吐く。その首にすがりつくように腕を伸ばして彼を引き寄せ、とろけるチーズみたいに囁いた。


「2人でさ、気持ちよくなろう」


ひとまわり大きいあっくんの手をとって俺の首へかけさせると、彼は、灰色の目に諦めにも似た
何かを浮かばせて、開いたもう片方をしっかりと添える。


「強くね、絶対、離さないでね」

「…てめぇは本当の変態だな」

「っあ゛ッ」


ひねりつぶされたソプラノパートの蛙。視界が歪む。意識が歪む。ビク、下半身、ビク、痙攣、ビク、あっくんを締めつけてその解放を迫る。


(あっくん、あっくん)


今にも意識を手放しそうになりながら、広い肩越しの天井からぶらりと垂れ下がる人の影を見た。さいとう、さん、締め付けられた喉からやっとで吐き出した息に影はわずかに首を振るような仕草を見せて、ゆらゆら揺れ、くるくる回る。


(さみしいんだよね)

(大丈夫)

(すぐに行くから)










:   :   :










「…起きたか」


耳をくすぐる彼の声、天井の染みは数えの13、けむる煙草の匂い、うっとりと気怠い、腰、あぁ、俺はまた生かされているんだ。


「あっくん、ねぇ、いつになったら」


できそこないの死体がごろりと転がるベッドに凭れ座った彼に、鼻先をすり寄せ、その白い喉元に手をかける。繋がることに求めるものが温もりだなんていったいぜんたい誰が決めたの。


「いつになったら、殺してくれるの」


もう何度となく囁いたこの科白は、まるでひとつの愛の言葉であるかのように俺を安堵させる何かを持っていた。自らの首に這わせられた手に、彼もまた、自らのそれを重ねる。


「…そのうちな」


それは、まるで形は違えども、神の前で誓う一組の男女のようで、俺は笑った。


「今度は」

「あ?」

「今度はもっと、強く絞めてよ、離さないで、絶対に」


俺は、笑った。










カン・カン・カン・カン


彼に続くは13の階段、彼へ向かうは絞首台。甘い餌を手にからめ、殺されるいつかの日だけを待ちわびる。俺はあの日にきみを見た、きみを聞いた、きみを知り、きみに触れ、きみを感じ、きみで終わる。このまやかしばかりの世界で、これだけは本当のラッキーだった
と、俺は最後に笑うんだ。今日も変わらず世界は晴れるよ、明日の空なんて望まない。洋子さん(仮)、愛ってさ。










F I N .




全国の斉藤洋子さんにお詫びを申しあげます


CLOSE.





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