「みなみ」
方角の、ひとつ
「みなみかぜ」
みなみから吹く、あたたかい風
「みなみじゅうじせい」
みなみで見られる、星でえがいた十字
オレンジの夕陽に染まる部室でおれと南は二人向き合っていた。
エブリタイム・エブリデイ
「黙れよ」
南アメリカの“み”、4枚ぽっちの言の葉でもって彼は俺の口を塞ぐ。まだ南半球だってあるのに、そんなちょっとの我慢もできないのソーロー、拗ねたようにくちびるを尖らせ言ってやると、一呼吸置いた彼は誰が早漏だよ、と笑った。
「気が散るだろ」
「だぁってキヨ、退屈なんだもぉん」
机に伏せたまま小首を傾げて、喘ぎのような甘い声を上げる俺に南が眉をしかめる。
「ぶりぶりすんな、きもい」
「かわいいでしょ」
「可愛くねぇよ」
「もー、この前はあんなにかわいいって言ってくれたのに」
「いつ、どこで、だれが」
ひとたび練習用のラケットを手放せば仲間たちへの挨拶もそこそこに白い建物から駆け出してゆく鉄砲玉のおれが、どうして今この時ここでこうして地味な部長のつむじを眺めているのかだなんて誰も知らない。オレンジ色に満ちた2人きりの部室、誰も知るはずのない秘密に声をひそめた。
「…南が先週ここでおれとセックスしたとき」
「帰れ」
涼しい切れ長の目がちらりとおれを捕らえて、気恥ずかしそうに離す。彼はおれの肌を知るただ1人の男であり、その指はおれの熱さを記憶し、その網膜にはおれの裸が焼きついている。
「そんなものさぁ、てきとうに終わらせちゃってよ」
その過剰な意識だけでおれは今この時をここでこうして生きていた。
「そういうわけにはいかないだろ」
「真面目だね」
何の得にもならないのに、という台詞を飲み込んで、丁寧に部誌を書き込む節くれだった指の動きを視線で追っていると、手の中の携帯が鳴った。小さなサブの画面には、見知ったメールアドレスが映し出されている。kiyo-love.112…
「いいよねー、この曲」
「電話だろ。出ろよ」
「残念、メールだよ」
電話に耳を当てて、流れるメロディをうっとりと聴き入るおれに、南はうんざりしたような重い息を吐いた。
「女か」
「まさかそんな」
俗世間に媚びたメガヒットシングルの心地の悪さをさして気に止めないようなひととおれはつい先日までベッドで抱き合う成人指定の仲だった。1つ年上の彼女に不満などあるはずもなかった、きれいな顔をしていた、きれいなくびれをしていた、きれいなくるぶしをしていた、惜しむらくは聞くに絶えない音痴だったことだ。
「この曲好き」
カラオケで聴いた耳を裂くような女のそれを思い起こして口角を歪ませ、受信したメールに声を上げて笑う。削除なんて造作もない、問題はメモリーの空白だ。
「あはは、おれのこと、あきらめきれないんだって、はは」
「不幸だな」
「メールなんて打つ余裕があるなら、会いに来ればいい」
最後にすっげーきもちいいセックスくらいしてあげてもいいのにね、南と3人でさぁ。
「ねぇ、そう送ってあげようか、あの子頭わるいし、きっと来るよ、ここに」
先にやらせてあげるね、人差し指と中指の間に親指をはさんで、南に向けてそれを掲げた。
「おまえ最低」
南の最低、という響きはこれで三度目。一度目は、部室の椅子でうとうととしていた彼の股間に顔を埋めたとき。二度目は、寝ぼけまなこの彼とそのままセックスにもつれこみ、肩で息を整える彼の腕の中で彼女に別れを告げたとき。
「おれ、携帯きらいなの」
笑いながら、手の中の機械に指をすべらせる。彼は携帯を持っていない、中学生にそんなものは必要ないだろうというまじめな両親の考えだった。
「暇があればぱこぱこいじってる奴がよく言うよ」
オレンジの夕陽に染まる部室でおれと南は二人向き合っていた。おれの携帯には、くびれのきれいなあのひとが出会ったころにこっそりダウンロードしたどろどろに甘ったるいラブソングが入っている。悪くないよな、そんなのも、あの日ユニフォームを脱ぎながらそう言った君の背中に、ねぇ、おれは恋をしたんだ。
(メモリーは、空白を嫌うよ。000、ラブラブラブ、ねぇ、恋をしたんだって言ってるじゃん。聞いてるの南、ねぇ、おれ、ああ、そんなところじゃあなくて、おれの、ここに、はやく、ねぇ、南ってば)
F I N .
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