酷いですよこんなの、酷い、酷いですよねぇ、酷すぎます
パ
ト ラ ッ シ ュ ネ ロ ア ロ
ア
今日は、そう、かれのいやらしいものがこの口内を満たしているという何とも愛らしい行為の最中に、ほんの少しだけその先に歯を立ててしまった。あぁ危ないなぁ謝らなきゃと顔を上げた時は既に遅く、ほんの数秒前までおれのオレンジの髪を撫で梳いてくれていたやさしいてのひらはかたい拳となって、眼前に金色の火花を散らせる。
あ、きれい。
183cmの長身から繰り出される強烈な右ストレート。 推定M5(適当)の勢いでおれは狭いシングルベッドから転げ落ち、夕方になるというのに未だ朝食の皿の残るテーブルで思い切り顔を打ち付けた。運良く角は逃れたものの、その衝撃で倒れた『おいしい牛乳』1gパックがコップ、グラス、はたまたフルーチェでもないおれの頭に見事注がれる。まるでドリフ(見たことはないけれど)のようなドタバタ劇を演じる当事者であるあっくんは嘲け笑いながらおれを更に痛めつけた。声を上げれば余計に彼を刺激することを学習しているおれは、鼻に流れ込んできた『おいしい牛乳』が確かに気管へ伝わってゆくのに咳き込みながら、先週失った下の奥歯の行方を思う。いつものことだ。
「ごめんなさいもうしません」
フルコースのように一通り怒りを放ちはぁはぁと荒い息をつく彼に跪き、その足先にキスをする。これもまたいつものことだ。
「…ホモ野郎」
唾と一緒にそう吐き捨てておれの顔を蹴り上げ、シーツの海に深く潜る彼の背中に、あいしてるよあっくん、と呟いた。
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痛む節々に顔を歪めながら、赤く濡れた指でインターホンを押す。おれの部屋から同じ大学の友人の部屋までは2メートル、つまりはお隣さんだ。
「ああ千石くん!また!!」
「観月ちゃんシャワー貸してくんない?」
おれの部屋にはバンソウコウが無い。マキロンも無い。赤チンも無い。彼の部屋にはそれがある、しかしそれも最近は1ヶ月とももたなくなった。おれがこうして怪我をしては彼の部屋の戸を叩くからだ。
「また殴られたんですね、かわいそうに」
大きな目をうるうると滲ませながらかれはおれをぎゅう、と抱き締める。いつもどこか芝居がかったかれは演劇サークルの部長で、随分前に将来の夢は世界一のお嫁さんになることだったんです、と言って笑った。今日もまた、どこで買ったのか分からないような趣味の悪い薔薇柄のシャツを着ている。
「ううん、今日はねーあっくんキックー」
「…そういうことを言ってるんじゃないでしょう。早く入って下さい、他の人に見られたら大変ですから」
きっかけはほんの些細なことから始まった。
観月ちゃんの紹介で知り合ったおれたちは一目で恋に落ちたのだ。 その出会った場所というのも俗に言う合コンで、ふらふら遊んでいるばかりでいつになっても特定のハニーちゃんを作る気のないおれを心配したお節介な観月ちゃんに連れられ渋々出掛けてみたら、観月ちゃんのバイト先の同僚というかれ、亜久津仁がいた、という訳である。勿論相手側ではなく男性側で、おれたちは女の子そっちのけで盛り上がり、(と言っても無口の彼のこと、おれが延々と喋っていただけなのであるけれど、かれも結構それなりにはしゃいでいた。しかしその場にいた観月ちゃんは付き合って半年になる今でも「亜久津くんが一方的に口説いたんですよ」と言って聞かない)その日のうちにお持ち帰り&お召し上がりをしたのが幸いしたのかそうでないのか、そのままかれはおれの部屋に居ついてしまったのだ。 最初は相手が男だということに確かに戸惑いもしたが、紹介した観月ちゃんも「実は僕もー…」とやけに色の黒い能天気そうな男を引っ張ってきたので取り敢えず飽きるまでは男同士っていうのもいいかもしれない、だってこんなにあいしてるし、と自分を納得させ、甘ったるい生活を始めたというわけであるのだけれど。
はじめに殴られたのは夏の暑い日だ。
今日はおれが夕飯を作る、バイトも無いし、いつもお前に作らせるのも悪い、と言ったあっくんが何を考えたのかそうめんを10人前も茹でてしまった。テーブルから溢れかえる白い麺を見て、ついおれが「こんなに食べられないでしょ」と言ってしまったのだ。
その後のことはよく覚えていない、目覚めるとおれは観月ちゃんの部屋に居て、裸にシャツ一枚を羽織っただけの観月ちゃんがしくしく泣いていて、ジーンズ一つのその恋人が「観月のせいじゃない、観月のせいじゃない」と彼を慰めていた。自分がどんな状態にあるのかも知らないおれはこの二人はどうかしてしまったのだろうか、と思った。
お笑いだ、どうかしてしまったのはおれたちの方であるというのに。
「酷いですよこんなの、酷い、酷いですよねぇ、酷すぎます」
観月ちゃんはいつも泣きながらおれを手当てした。よくもまぁ毎度毎度同じような台詞を吐き、こんなに涙を流せるものだ。感心してしまう。
「かわいそうな千石くん、僕が変われるものなら変わってあげたい。あんな男とあいし合っているばかりに殴られて、蹴られて、こんなにかわいい、かわいい顔なのに腫れ上がってるじゃないですか。…シャワー浴びたとき染みませんでした?」
「染みたねぇ」
「これからもっと染みるので我慢してくださいね」
慣れた手つきでかれはピンセットをつまみ、俺の頬にマキロンを染み込ませた脱脂綿を当てる。ねぇ僕は医学部に入れば良かったと思いません?、とナイチンゲールさながらの表情で微笑んで、マニキュアで描かれたミドリ十字の小箱から湿布を取り出した。
「どこが痛いですか?心?んーっ、残念だけどそこには張ってあげられないですねぇ」
どこまでも余計な一言の多い彼を無視して右肩を晒すと、やっぱり心が痛いんですねぇ治してくれるドクターがいればいいですねぇと言いながら、かれはひやりとした湿布をおれの肩に貼りつけ、そこに顔を埋める。
「ふふ、千石くんおじいちゃんの匂いがします、さっきは牛乳くさくて、赤ちゃんみたいだったのに。おじいちゃんで赤ちゃん。かわいいと思いませんか?」
「思わない」
「そうですか」
つまらなさそうにそっぽを向いたかれは煙草とピンクのアロマキャンドルに火を点けて、その噎せ返るような薔薇の香りが6畳の和間に染み通ったころ、急に真剣な面持ちでおれの手にその白い手を重ねた。
「ねぇ怒らないでくださいね千石くん、僕思うんですけど」
亜久津くんと別れた方がいいんじゃないですか。
止まらない鼻血をタオルでごしごし擦りながら、かれの言葉を聞く。ティッシュを詰め込んでしまいたいのだけれどこの部屋のティッシュはよくわからない香料入りで、ただでさえ趣味の悪いキャンドルの匂いで頭が痛むのにそんなものを鼻に詰めたらどうなるか分からない。いっそのことトイレットペーパーで、と思って立ち上がろうとしたとき、何か勘違いをしているらしい観月ちゃんに咎められた。
「ええ、分かります。分かりますよ亜久津くんのことが好きなんですよね?でも聞いてください、かっとしないでちゃんと僕の話を」
こういう時のかれに何を言っても無駄であることは、2年も友達をやっているおれが一番よく知っている。下手にトイレットペーパーの話などして逃げないでくださいよと泣かれては堪らないし、そこにティッシュがあるじゃないですかと言われればおれにとって今世紀最大のピンチになりかねないので、大人しくかれの前に腰を据えた。
「もう見ていられないんです」
涙を一杯に溜めて、観月ちゃんがおれの頬(正確には傷を覆ったガーゼに、だ)に触れる。
「最初は、かっとしただけなのかって僕も思ったんです。導火線の短い人ですねぇ、もしかしてあっちの方も早いんじゃないでしょうかって。けれど、最近どんどん酷くなってるじゃないですか。週に1度や2度は必ずこうして千石くん血だらけで駆け込んでくるでしょう、僕の部屋は駆け込み寺かって位に。見てくださいよ、このマキロン!この間買ったばかりなのにもうからっぽじゃないですか!」
言いながら観月ちゃんはおれの目の前に空のマキロンを突きつけた。
「あのねぇ観月ちゃん、あっくんあっちの方は別に」
「いいんです!何も言わないで!同じ恋する男ですから、千石くんの気持ち、僕はすごくよく分かります。僕だって赤澤が暴力夫だったら多分同じように庇うと思うんです、だってあ・い・し・て・る・か・ら!だけど今のあなたにそれが幸せなんかじゃないって気付かせてあげられるのは僕だけなんですよ」
「あのねぇ、あっちの方は」
「恋って悲しいですよね…そんなあなたに御紹介したいのが赤澤のバイト先の新人くん!裕太くんっていうんですけどね、多分童貞なんですけどすっごくかわいいんですよ!どうですか?」
「あのね」
「え、御利用者の声も聞きたい?んー、だけど僕が一回お味見したもの、千石くん平気ですか?平気なら僕は喜んで」
「大声で何話してんだ」
卒然背後に知った声を聞いて振り向くと、引きつった笑みを浮かべた観月ちゃんの恋人が立っていた。その手には合鍵があって、ダニエルのぬいぐるみが付いているところを見ると観月ちゃんはキティちゃんなのだろうか。頭が痛い。
「ただいま。…廊下まで丸聞こえだぞ、何の話だ?味見とは穏やかじゃないな、観月」
「違いますよ、亜久津くんと別れろって友達が助言してあげてるんです。そんなことよりほら見てくださいよ赤澤、また千石くんこんなに」
「うわ、こりゃ酷ぇ」
黒い顔を軽く歪めて、本当に酷い奴だな、とバカ澤くんがおれの頭を撫でる。観月ちゃんは、あからさまにジェラシーが剥き出しの顔でかれを睨み付けていた。
「そんな顔で見んなよ」
ちゅう、と音を立てて観月ちゃんの白い頬にキスを送り、バカ澤くんはああ疲れたと息を吐いてかれの横に腰掛ける。習慣なのだろう、当たり前のようにその膝に観月ちゃんは座って、かれの首に腕を回した。
「だけどなぁ千石、本気で考えた方がいいんじゃねぇか」
「でしょう?それを言ってるんですよ!だからほら、あの裕太くん連れてきてくださいよ!ついでに野村くんも。千石くんの好みよく分かんないし」
「観月ちょっと黙ってろ、話がややこしくなるから」
「………!!君なんか知らない!」
パァン、と切れの良い音が響いて、観月ちゃんがかつての少女漫画のヒロインさながらに駆け出した。と言っても狭い部屋のこと、行き先はトイレで、おそらく腹立ち紛れにトイレットペーパーを出しまくっているらしくガラガラという止めど無い音がしている。少し分けて欲しい、こっちは鼻血が止まらないのだから。 打たれた頬を押さえて、バカ澤くんが深い深い溜め息をついた。
「止めなくていいの」
「いいんだよ、いつものことだから。それより、お前どうしたいの」
トイレから『別れたいに決まってるでしょっ!!』というヒステリーな観月ちゃんの声がする。
「観月がああ言ってるからじゃねぇけど、亜久津には俺も観月からも何度もマジしつけぇ位に話してんだよ。だけどやめねぇ、多分あれ既に一種の病気だな」
「病気」
「正直お前や俺らには荷が重すぎる。お前から言いにくいんだったら俺から亜久津に話してやろうか?千石に二度と近付くなって」
「…………」
「えぇそれがいいですよ!」
いつの間にか立てこもりを終えていた観月ちゃんが後ろからおれにのしかかる。がくがくと揺すぶられて、湿布を貼られた右肩が更に痛んだ。
「んー…あー……もう、帰らなきゃ」
バカ澤くんが目を丸くする。背中の観月ちゃんもおそらくは同じ顔をしている。
「夜だし、あっくんお腹すかせてると思うし、帰るね」
立ち上がるおれの足を観月ちゃんがぎゅう、と掴んだ。ぽろぽろと雨粒のような涙を流している。どこまでもヒロインな子だ。
「僕のせいですね…僕が、亜久津くんなんか紹介したから、僕が、僕が。ねぇ千石くん、千石くんは、そんなにされてまで亜久津くんがいいんですか」
「いいのー」
「そのうち、殺されちゃいますよ」
「死んだら考えるよ」
玄関まで出て初めて自分が裸足で飛び出したことを知る。 観月ちゃんの私物らしいどこで買ったのか分からない第二弾、ショッキングピンクにスカイブルーのドット柄のハジけたスニーカーに苦笑していると、背中に二人分の視線を感じて、あっちの方は別に早くないから、と手を振って観月ちゃんの部屋を後にした。
「…観月、何の話だ?」
「分かりません。とうとうおかしくなっちゃったんですかねぇ、千石くん。僕のせいです、僕が」
「観月のせいじゃない、観月のせいじゃねぇよ」
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「ただいま。…あっくん?」
部屋に戻ると、もう夜の8時になろうというのに電気も点けないで、かれが部屋の隅で一人膝を抱えていた。あぁこれだからおれたちは駄目なんだ。
「ねぇあっくん今夜何食べよっか」
「……せんごく?」
ぐずぐずと鼻を鳴らして、母親に叱られた幼子のように泣いている彼をそっと抱き締める。先程のバカ澤くんを真似てその頬にキスをすると、ぐしゃぐしゃの顔であっくんが抱き返してきて、そのままベッドへ縺れ込んだ。
「ごめん、ごめんな、俺こんなことして、かわいい顔なのに、お前のかわいい、顔、俺バカだ、最低だ、あいしてるのに千石にこんなこと」
かれの涙がおれの顔にぼたぼた降り掛かる。おれの周りは泣き虫毛虫が多くて時々辟易してしまうけれど、それがまたおれのいとしさを増していた。
「本当に俺、バカだ。なぁ千石、嫌いか?嫌いになったか?でも俺、おまえがにくくてあんなことしてんじゃねぇんだよ、俺がこんなにこんなにお前のことあいしてんのに、お前俺のこと全然わかってねぇから、だから」
「知ってるよ」
「なぁ、ほんとうにあいしてんだよ。あいしてるんだ」
俺のTシャツをまくり上げながらあっくんはあいしてるを繰り返し、なんて不器用でばかなやつなんだろうかわいいなぁとおれは笑う。痛めつけられたことやどこに行ったのか分からない奥歯の行方なんて全てどうでもよくなって、下半身に潜り込んでくるかれの熱をじっと受け入れた。
(あーすっごい、きもちいい、かも)
あいしてる、千石、あいしてる、あい、してる、あいしてるんだ、あいしてるんだよ、あいして、る、あいしてる、あいしてる。
壊れた蓄音機のように愛の言葉を繰り返す彼の指針はおれのもので、かわいいこいつの為なら腕の一本や二本へし折られたって決して文句なんて。
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通りすがりに、今夜は街中がきっと宝石箱ね☆という女の子の声を聞いた。電話口で照れながら俺がお前のサンタになってやるよ、と言う男のセカンドバッグにはおそらくティファニーかなにかの箱が入っていて、僕達幸せで〜す!タリラリラ〜!というオーラを全身から放っている親子連れ3人(しかも母親はお腹がおおきい)は一張羅をその身に纏い、これからどこかのレストランでクリスマスディナーでもしようというのか。
「君ら全員仏教徒でしょ…」
憎々しく吐き出したその台詞も「Xmasフェア」というのぼりを掲げた電器店から流れる節操の無いジングルベルにかき消され、ネギのはみ出た大きなスーパーの袋と25cmケーキの入った赤い箱を抱えたおれは解けたマフラーを巻き直すことも出来ずに帰路を歩んでいた。ちなみにおれの家は代々真言宗だ。
(あっくん驚くだろうなぁ)
今日はバイト遅番だから帰りは遅いよ、と残して家を出たおれがこんなに早く、しかもケーキなんて抱えて戻るんだから。頼み込んでシフトを交代して貰った南には涙目で一生怨むと睨まれたけれど、それも仕方が無い。折角クリスマスなんだからターキーでも、とも思ったけれどやはりここはあっくんの大好きな俺特製ハンバーグにしようといつもより高いひき肉を買ってきた。仕送りと少ないバイト代で暮らしているおれにとってはそれが精一杯で、それでもケーキだけは二人で食べきれないほどに大きなものを選ぶ。誰もが馴染み深いイチゴの生クリームケーキ。おれはまるで子供に帰ったみたいにワクワクしてる。つめたい風が傷に染みる。
「……いた」
3日前、観月ちゃんはおれに『こんなにされてまで亜久津くんがいいんですか』と問いかけた。おれ自身、どうしてあっくんが良いのか、あっくんでなくてはならないのかは分からない。
唯一理解出来るのは、傷の痛みと底の無い沼に嵌まり落ちるような感覚だ。 ずぶずぶずぶずぶ、泥は流れ込むおれの鼻から耳から口から肛口から、失った五感でおれは夢を見る、陽炎、はたまた蜃気楼のようにぼやけたそれは自らを愛と名乗る。泥にまみれたおれは笑って彼に手を伸ばし、絡まった二本の綿糸のように抱き合うおれたちは狭いシングルベットへ飛び込んだ。そしてあのつまらない五文字をまるでお互いの名前のように囁き合う。意味なんて無い、理由なんて無い、そんなものを求める間も無くおれたちはその全てを知っているかのように情交を繰り返す。それは拳だ、それは涙だ、それはおれの両腕であり、失った奥歯と挽き肉だ。おれたちは満たされている、満ち満ちた泥沼の愛憎劇のなかでおれたちは毎夜生まれ変わる。ずぶずぶ、あい、ずぶ、あいして、ずぶずぶずぶ、あいし、あいしてる、あいしてるよ、あいしてるんだ―――
「…あれぇ」
当然開いているものと疑わなかった部屋のドアに何故か鍵が掛けられていた。出無精の彼が12月24日なんて面倒な夜に外出なんてする筈が無く、いくら物騒だと言っても在宅時にロックする習慣を付けないあっくんが珍しいなぁ、と小首を傾げて、めったに使われることのないインターホンに手を伸ばしかけたけれど、すぐにそれを引っ込める。以前余りにもしつこい新聞勧誘のチャイムにキレておれに八つ当たりを起こしたかれを思い起こしたからだ。そんなことになってはせっかくのイブが台無しになってしまう。 カバンの底から愛想の無いキーホルダーの付いた鍵を取り出して、それを鍵穴に深く差し込んだ。
(鍵を鍵穴に深く)
カチャリ、という音と同時にいやらしい想像が脳内を駆け巡り、流石は性夜、と検討違いの納得をする。こんなこと考えちゃったぁ、とあっくんに言うべきか言わざるべきか迷いながらそのノブを引いた。 しかし、鉄の扉はほんの20cm程度でおれの存在と室内への浸入を拒む。
眼前に銀色の鎖。
(チェーンキー?)
あっくん、と口を開きかけたところで、ドアの隙間からあぁ、あ、あんという嘘臭く下卑た嬌声が耳に届いた。その声を、おれは知っている、よく知っている。
下に目をやれば脱ぎ散らかされたショッキングピンクのスニーカー。 鳥肌モノのその色に、スカイブルーの水玉がよく映えて―――
酷いですよこんなの、酷い、酷いですよねぇ、酷すぎます
「……大変だぁ」
閉じた扉を背中にして、汚い廊下にずるずるとへたり込んだ。
ハンバーグ、ハンバーグを、3人前用意しなきゃ、あぁもしかしたら4人前かもしれない。挽き肉、これで足りるかな。冷凍室にもあったかなぁ
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「俺はなんて馬鹿な男だ、あぁもう最低だ、あいつをあいしてる、こんなにあいしてるのに、こんなこと、千石の友達と、観月とこんなこと」
「ちょっと黙っててくれませんか亜久津くん」
別にこんなこと初めてじゃないでしょう、いつものことじゃないですか、彼の恋人が言うところの「天使の微笑み」で観月は咥えた煙草に火を灯した。口から鼻から煙をぷかぷか吐き出しながら裸に飛び散った自らの白濁をティッシュで丁寧に拭い、丸めたそれを銀髪の男目掛けて投げ付ける。
「そんなに後悔するなら僕なんかの誘いにもう乗らないでくれますか?何ですか、ついさっきまで気持ち良さそうに腰振ってたくせに終わったら泣いてばっかりで、僕がレイプでもしたっていうんですか?浮ついた気持ちでできないセックスなんて遊びにもなりませんよ、あぁ本当につまらない最低な男ですね」
すらすらと流れ出る悪態とは裏腹に、観月は真から愛おしそうに泣きじゃくる亜久津を抱き締めた。
「千石くんも君をこうして抱くでしょう」
その姿は恋愛小説の1ページというよりも肉塊を生み落としたばかりの母親のように背筋が凍り付く程の慈愛に溢れ、心なしか後光まで射しているようにも見える。
「あいつをあいしてる、ほんとうにあいしてるんだ」
「知ってますよ。ふふ、本当に君達はどうしようもないカップルですよねぇ。可哀相で、救われなくて、ロマンチックで有り得ない。見てて飽きません」
「神様」
「ええ、お祈りすればいいですよ。今日はイブですからね、もしかすると救いの手が降りてくるかもしれない」
だけど僕は知ってるんです、ああジーザス!ジーザスクライスト!!バッドアイアムアアンチクライスト、シャンパンとセックスの大好きな12月だけのクリスチャンなんて虫が良すぎるとは思いません?
「千石、あいしてる、あいしてんだ、あいしてる、あい」
「ねぇ今度の脚本、君達をモデルにしてもいいですか?招待するから見に来てくださいね、約束ですよ、ほら指切りしましょう」
「あいしてる、どうしたらいい、こんなに、俺、お前を」
「んふっ、僕ってやっぱり天才!もうタイトルまで思いついちゃいました。ねぇ聞きたいですか?聞きたいでしょう亜久津くん、聞いてください亜久津くん」
「あいしてるんだ、どうしようもない、くらい、それなのに俺」
天に召します我らの神ではないあなたさま、世界に光を!僕等に愛を! (ああ、それはチャップリンも真っ青の!!!!!!)
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